所長ブログ

海士資産形成研修所の所長ブログ

コロナ日記(3)

 DO NOT FIGHT THE FEDという文章を株式投資の世界で最近よく見かけます。日本語で言えば、「連銀(日本銀行の米国版)には逆らうな!」という意味です。

コロナの問題で世界的に不況になっており、それを早く回復させるために金利をゼロにしています。

コロナショックで米国の株式相場は暴落しました。2020年2月12日には29551ドルだったニューヨークダウは、2020年3月23日には、18591ドルまで下げました。率にして37パーセント程下げた計算になります。

しかし、連銀は株式相場を支えるため、米国経済を大不況にならないように金利をゼロにして更にお金を好きなだけ貸しますよ、という姿勢を見せています。それに呼応して、株式相場は5月7日には23875ドルまで戻ってきました。まだ高値まで戻っていませんが、現在の経済状況を考えると大変な反発です。

大変な不況が来ると考え、もっと株式相場が下がるだろうと思い、保有していた株式や投資信託を安いところで投げ売りした人も多いと思います。

一番相場が下がっていたときに投げ売りや空売りをした人たちにとって、連銀には逆らうな!という言葉が身に染みて感じていると思います。株式投資をしたことのない人には難しいと思いますが、要は、金を印刷できるところが一番お金を持っているということを忘れてはいけないのです。

1930年代の大不況のときは、ニューヨークダウは8分の1程になりました。現在のコロナ不況は大不況を上回る不況になるとも言われています。

「連銀には逆らうな!」という文章が今回も引き続き正しいのか、それとも大不況の時のようにダウがなるのか、2年後には結果が出ていると思われます。

コロナ日記(2)

チコちゃんに叱られる!」という番組が日本で今、人気がある。CGのチコちゃんと岡村さんという司会で進行する。

最近、岡村さん(独身49歳あるいは50歳)のコメディアンが「コロナで多くの濃厚接触業の方が休業していますが、今度、再開されるとものすごい綺麗な子が増えるのでは」とか言ったらしいです。それが不謹慎ということで、お目玉をくらった。

我が家の2階にわたしのオフィスがありますが、ある日、物凄い音響でズン・ズン、ガン・ガンという音楽が聞こえてきたので、部屋から前の道を見たら、車から出てきたのは、めちゃ可愛いお姉ちゃんが、花束をデリバリーに来ていました。その服装がいままで働いていたときに着ていたと思われる胸が大きく開いたワンピースでした。いまにもはみだしそうな胸は、2階から見ると更に良く見えました。窓から落ちないで良かった。

これは、正に岡村さんが指摘されていたことがすでにニュージャージーで起きているという証拠だと思います。このようなことを書くとわたしもブーイングされるかもしれませんが、読者がいないので大丈夫です。

次は少しお堅い話題を書きます。

タイトルは「DO NOT FIGHT THE FED」 です。これは「連銀には逆らうな」という意味です。投資の世界で良く言われていることです。

コロナ日記(1)

今日は5月1日(日本はすでに5月2日ですが)です。

世界中、コロナのニュースで一杯ですが、今日から日記を書くことにしました。

なぜなら、コロナに感染したからです。

 

3月4日に日本からニューヨーク州のとなりのニュージャージー州に戻ってきました。

戻ってきて友人にそれはラッキーだったね、と言われました。3月5日から、ニューヨークの空港では、2週間の隔離、あるいは自宅待機になった、との事でした。(これが本当かどうか確認していませんが)

 

戻って来て、ワイフが高熱を出して寝ています。ワイフは別の部屋で寝た方がいいよ、と言いましたが、別のベッドだと寝ずらいし、どうせ同じ家の中に居たら、感染しちゃうだろう、と安易に考えていました。ワイフは4日ほど高熱が続き、その後3週間は倦怠感に悩まされていました。わたしは、微熱が何日か続き、咳はなく、しかし倦怠感はすごかったです。4週間ほど寝たり起きたりの生活、食欲はありましたが、一時期、

なんか、味がしなくなったような気がしました。18歳の息子も感染したと思いますが、元気に毎日夜中までゲームをしています。

 

寝たり起きたりしていましたが、少し容体がいいときにフェースブックで友人に、コロナに罹ってしまったこと、わたしの場合、高齢、高血圧、糖尿、心臓疾患の4点セットなので、重症化しやすいのでヤバイと書きました。その返事は、「4点あるから5点になっても大丈夫じゃない」というお言葉、その上になにかわたしにあったら、わたしの日本の年金は俺がもらってあげる、と書いてきました。

これを読んだ後から、ばからしくなり、返って元気になりました。

しかし、一瞬死ぬかな、と思ったときもありました。そのときに一番気になったことが、いま、立ち上げた会社で一緒に働く仲間に、いろいろ立て替えてもらっている人の顔を思い出し、わたしが死んだら、立替を証明して取り返すのが面倒だろうな、と考え、まだ、死ねないと思いました。