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コロナ日記(6)66歳の起業 後編の1

「塾長、なぜ、中国に盛和塾を作られたのですか?」

塾長は、「いずれ、なにが起こるかわからないから、日本と中国が草の根レベルで仲良くしておいた方がいいのでは。」と答えてくださいました。

そこで、目が覚め、数日後に、そうか、まだ、引退できない。わたしにはまだ、やるべきことが残されている、と両腕がしびれるような感覚を伴ってその想いは降りてきました。

 

現在、日本の旧盛和塾生が経営されているあるいは経営されていた上場企業は約90社あります。以前、わたしは、経営理念ファンドを組成して運用を始めるに当たり、塾生企業のモデルポートフォリオを作成。また2000年から2005年までのパフォーマンスを東証一部、東証二部、日経225ジャスダックの株式指標と比較する資料を作成しました。2001年から、ITバブルがはじけて大変な不況が3年ほど続きましたが、3年が過ぎたあたりから、盛和塾生の上場会社のモデル・ポートフォリオは、他のインデックス指標を大きく上回る成績を残しました。

 

これは、不況の時に塾生企業の経営者は、全従業員の物心両面の幸せを追求して、人員削減などもせず、誰にも負けない努力をした証明と考えたわけです。それから15年間、わたしは旧盛和塾生の企業をフォローさせていただき、2001年の時は32銘柄でしたが、いまは90銘柄ほどに企業数が増加しています。

下記にその当時に作成したチャートを添付いたします。ご照覧ください。 

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経営理念ファンドのモデルポートフォリオ

 

コロナ日記(5)66歳の起業 前編

66歳で起業しました。

2018年の3月に経営理念ファンドという器で運用していた資金をお客様にすべて返却いたしました。2005年から始めた約14年近く運用していたことになります。主に旧盛和塾生の上場企業に投資するファンドで、従って、経営理念という名前にしていました。

最後の2年だけで約80%の運用益を上げることが出来ました。

投資の神様と盛和塾の学びのお蔭だと考えています。

 

なぜ、ファンドを償還したかというと、2018年の1月に65歳になったこと、2020年のオリンピック前に日本株式はピークを打つのではと感じていたからです。

 

それから1年近く、ゆったりとした生活をしている日の夜、稲盛和夫氏と夢の中でお話しをする機会をいただきました。

わたしは、草野球をするようなグラウンドの一塁側か三塁側かわかりませんが、長い6-7段ある階段に一人で、座っていました。稲盛塾長はわたしの左上から降りて来られました。わたしはすぐに立ち上がって挨拶をしたと思います。その後にわたしは、急に質問をしていました。

「塾長、なぜ、中国に盛和塾を作られたのですか?」

塾長は、「いずれ、なにが起こるかわからないから、日本と中国が草の根レベルで仲良くしておいた方がいいのでは。」と答えてくださいました。

そこで、目が覚め、数日後に、そうか、まだ、引退できない。わたしにはまだ、やるべきことが残されている、と両腕がしびれるような感覚を伴ってその想いは降りてきました。

続きは、後編へ。

コロナ日記(4)

実話「お金持ち庭師さんと普通の庭師さん」

今朝、散歩をしていて思い出しました。

いままで、公園が閉鎖されていたので、開放直後は草がボーボーでした。今日は綺麗に芝が刈られていました。

公園担当の庭師さんがやってくれたんだな、と思ったときに昔のことを思い出しました。

1980年に日本からロスアンゼルスに転勤になり、その当時まだ、お元気だった日系新1世の方々が個人客としてわたしが勤めていた証券会社にたくさんいました。

その中の一人で庭師さんですがかなりの金持ちの方がおられました。確か鹿児島出身だったと思います。当時は、鹿児島、広島、和歌山などの出身の方が多く、県人会で大きなお祭りをしていました。

そのお金持ちの一人の庭師さんは、兄弟で別々に庭師をしていました。1980年代は大変な不況でお金持ちも随分と財産を失った人が多くいました。その庭師さんのお客様のうちのひとりは大きな家を持ち、毎月、かなりの庭師代金をきちっと払ってくれていました。ある時から庭師代金の未払いが続きました。しかし、そのお金持ちになった庭師さんは、代金を何か月も請求もせず、もくもくと芝刈りを続けていました。1年近くなったあるときにその家のオーナーが出てきて、いままで溜まっていた代金を支払ってくれ、庭師さんに聞きました。なぜ、あなたはお金ももらっていないのにずーっと我が家の庭の面倒を見てくれたのですか?

庭師さんは、「これがわたしの仕事だからです。」と答えました。

それからその家のオーナーは事業が立ち直り、自分の庭師さんにいろいろなアドバイスを与え、彼は大金持ちになったと聞きました。もう一人の兄弟は、当時、お金をくれない客の庭には行かなかったそうです。

 

いまの、このコロナの時期になにを自分がすればいいのか、お金持ちの庭師さんが教えてくれているのかな、そしてわたしに思い出せてくれたことに感謝しています。

コロナ日記(3)

 DO NOT FIGHT THE FEDという文章を株式投資の世界で最近よく見かけます。日本語で言えば、「連銀(日本銀行の米国版)には逆らうな!」という意味です。

コロナの問題で世界的に不況になっており、それを早く回復させるために金利をゼロにしています。

コロナショックで米国の株式相場は暴落しました。2020年2月12日には29551ドルだったニューヨークダウは、2020年3月23日には、18591ドルまで下げました。率にして37パーセント程下げた計算になります。

しかし、連銀は株式相場を支えるため、米国経済を大不況にならないように金利をゼロにして更にお金を好きなだけ貸しますよ、という姿勢を見せています。それに呼応して、株式相場は5月7日には23875ドルまで戻ってきました。まだ高値まで戻っていませんが、現在の経済状況を考えると大変な反発です。

大変な不況が来ると考え、もっと株式相場が下がるだろうと思い、保有していた株式や投資信託を安いところで投げ売りした人も多いと思います。

一番相場が下がっていたときに投げ売りや空売りをした人たちにとって、連銀には逆らうな!という言葉が身に染みて感じていると思います。株式投資をしたことのない人には難しいと思いますが、要は、金を印刷できるところが一番お金を持っているということを忘れてはいけないのです。

1930年代の大不況のときは、ニューヨークダウは8分の1程になりました。現在のコロナ不況は大不況を上回る不況になるとも言われています。

「連銀には逆らうな!」という文章が今回も引き続き正しいのか、それとも大不況の時のようにダウがなるのか、2年後には結果が出ていると思われます。

コロナ日記(2)

チコちゃんに叱られる!」という番組が日本で今、人気がある。CGのチコちゃんと岡村さんという司会で進行する。

最近、岡村さん(独身49歳あるいは50歳)のコメディアンが「コロナで多くの濃厚接触業の方が休業していますが、今度、再開されるとものすごい綺麗な子が増えるのでは」とか言ったらしいです。それが不謹慎ということで、お目玉をくらった。

我が家の2階にわたしのオフィスがありますが、ある日、物凄い音響でズン・ズン、ガン・ガンという音楽が聞こえてきたので、部屋から前の道を見たら、車から出てきたのは、めちゃ可愛いお姉ちゃんが、花束をデリバリーに来ていました。その服装がいままで働いていたときに着ていたと思われる胸が大きく開いたワンピースでした。いまにもはみだしそうな胸は、2階から見ると更に良く見えました。窓から落ちないで良かった。

これは、正に岡村さんが指摘されていたことがすでにニュージャージーで起きているという証拠だと思います。このようなことを書くとわたしもブーイングされるかもしれませんが、読者がいないので大丈夫です。

次は少しお堅い話題を書きます。

タイトルは「DO NOT FIGHT THE FED」 です。これは「連銀には逆らうな」という意味です。投資の世界で良く言われていることです。

コロナ日記(1)

今日は5月1日(日本はすでに5月2日ですが)です。

世界中、コロナのニュースで一杯ですが、今日から日記を書くことにしました。

なぜなら、コロナに感染したからです。

 

3月4日に日本からニューヨーク州のとなりのニュージャージー州に戻ってきました。

戻ってきて友人にそれはラッキーだったね、と言われました。3月5日から、ニューヨークの空港では、2週間の隔離、あるいは自宅待機になった、との事でした。(これが本当かどうか確認していませんが)

 

戻って来て、ワイフが高熱を出して寝ています。ワイフは別の部屋で寝た方がいいよ、と言いましたが、別のベッドだと寝ずらいし、どうせ同じ家の中に居たら、感染しちゃうだろう、と安易に考えていました。ワイフは4日ほど高熱が続き、その後3週間は倦怠感に悩まされていました。わたしは、微熱が何日か続き、咳はなく、しかし倦怠感はすごかったです。4週間ほど寝たり起きたりの生活、食欲はありましたが、一時期、

なんか、味がしなくなったような気がしました。18歳の息子も感染したと思いますが、元気に毎日夜中までゲームをしています。

 

寝たり起きたりしていましたが、少し容体がいいときにフェースブックで友人に、コロナに罹ってしまったこと、わたしの場合、高齢、高血圧、糖尿、心臓疾患の4点セットなので、重症化しやすいのでヤバイと書きました。その返事は、「4点あるから5点になっても大丈夫じゃない」というお言葉、その上になにかわたしにあったら、わたしの日本の年金は俺がもらってあげる、と書いてきました。

これを読んだ後から、ばからしくなり、返って元気になりました。

しかし、一瞬死ぬかな、と思ったときもありました。そのときに一番気になったことが、いま、立ち上げた会社で一緒に働く仲間に、いろいろ立て替えてもらっている人の顔を思い出し、わたしが死んだら、立替を証明して取り返すのが面倒だろうな、と考え、まだ、死ねないと思いました。